これは最近気づいた根拠のない自論ですが、
友人に「〇〇(あなたの名前)は××だね」と何気なく言われた一言に対して自覚があるかないかで、自分が自分のことをどれだけ理解しているかわかるんじゃないかと思いました。
当たり前なことを書いている様に見えますが、友人に言われた一言に自覚がないことを軽視してたが故に自分が本当にやりたいことを今の今まで忘れていました。書かないとまた忘れると思ったので記します。
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大学時代の友人から言われた何気ない一言①
「君は聞く時よりも話す時の方が楽しそうだね」
これは、大学時代の友人と帰り道で雑談していたときに言われた一言です。当時言われたときは「人の話を聞く時の方が好きだけどなぁ?」と思ってました。
今振り返って思うこと
確かに自分は人の話を聞いたり、会話の様な双方的なやりとりよりも、 「自分で見て触れて感じた感動を一方的に伝えて相手に知って欲しい欲求が強い」と感じました。
無理に例えると 「子供が親や友達に初めて体験したものの感動を伝えたい衝動にかられて、人の話を聞かない状態」に似ているんじゃないかと思います。
自覚がなかった原因(推測)
原因として、おそらく人に好かれるために「人の話を聞くことが楽しいものだと」自分に言い聞かせていたことが関係しているんじゃないかと思います。当時の私は、「人は自分の話を聞いて欲しい生き物」と言う話を聞いて、なぜか「人の話を聞く=人に好かれる」と言う考え生まれ、更に「人に好かれること=自分が好きなこと」という謎の自己暗示(摺り込み)に変わっていきました。
つまり、「自分はこういう人間だ」という決め付けが強ければ強いほど、自分のことが見えていない傾向にあるんじゃないかと勝手ながら思います。
大学時代の友人から言われた何気ない一言②
「開放しろ」
これは、友人が高校時代の先生からの言われた受け売りの言葉らしいのですが、意味としては「人は自分で自分の力を必要以上に制限しているから、本来の力を発揮できないから、周りのことは気にせず思うままに開放しろ」と言う意味らしいです。
「映画のマトリックスみたいだよねっ」と笑いながら友人が言っていたのが今では良い思い出です。
①、②を繋げて思うこと
私のやりたいことは 「他人のことは気にせず、自分で見て触れて感じた感動を一方的に伝えて相手に知って欲しいこと」なんじゃないかなと思いました。
傍から見る「ただの自分勝手じゃん」と言いたくなる内容ですが、そう言われることを遅れてこの欲求(子供の一面)を押し殺してしまうと、また迷走しそうなのでこの欲求(子供の一面)と大事に向き合っていきたいと思いました。
この欲求(子供の一面)が今の業務にどう影響しているか?
手助けというよりは、正直足を引っ張ってる感じはします。
特に感じるのは、報告書を書くときです。 「相手(上司であったり、お客であったり)に事情が事細かに書かれていた方がよい」という気持ちが強いため、必要最低限の情報を記入すれば良い場合であっても、丁寧に報告書の内容を仕上げますが、時間がかかりすぎます。また必要以上の情報を載せることで誤解を招くリスクがあります。
その時々の要求を理解した上で、情報を取捨選択して必要最低限になるまで削り落とすことが立場上求められるのですが、苦手です????
全部書いて全部伝えたい気持ちが仕事だと邪魔してきます。
この欲求(子供の一面)とどう向き合うか?
現状は普段の業務では、なるべくこの欲求が暴走しない様制御しつつ、プライベートでは開放させるのが良いのではないかと思いました。
自分に合った「開放」のさせ方
ブログを書くこと
収益を増やすことが目的であれば、相手が何を求めるかを重要視すると思いますが、私は収益を増やすことが目的ではない(小物が偉そうに言ってすみません????)ので好きなことを好きなときに好きな分だけ書こうと思います。
ただ、より多くの人に自分の体験談や情報を知ってもらうことに関しては興味があるので目標にもなるのかなと思います。そのため集客を手段として勉強するのは面白いかなと思っています。
筋トレ
できれば対人競技ではなく、黙々と一人でこなすものがベストかなと感じています。一つのことだけに全力で取り組むと呼吸が安定でき、私にとてもあっていると感じました。
長々と私事を語ってしまいましたが、あなたは友人にさりげに言われた事でふと引っかかることはありませんか?その一言がもしかして自分のことをもっと知るチャンスにもしかしたら繋がってかもしれません。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
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